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係ると死亡フラグが立つ行家までも敬う義仲がなんとも男気のある素敵キャラに思える回でした。女たらしの頼朝に比べて側室は居るものの嫌らしくない対応でカッコ良かったです💞
木曽義仲は、今でいえば埼玉県生まれですよね。出生地に行った事があります。産湯の泉があったと思います。今回、義仲を取り上げてくださってありがとうございます。斎藤実盛の話しも良かった。次回も楽しみです。埼玉県民より。
同じ日の放映では、頼朝はダメダメの局地でしたからね〜 洋さんピッタリの役でしたw
12:02 乗り物降りるときとかに、建物から出るときとか、私はいつも、めんどくさいからスル~しちゃいます😅。木曾殿のこのエピソードを思い出しながら😣💦⤵️
義仲のほうが源氏の嫡流だったとは驚きました😱‼️いつもためになるお話ありがとうございます。夫婦揃って拝見しております。歴史好きな夫でもさすがに知らなかったという点も多く本当に勉強になります。
めちゃめちゃ楽しい🎶です。すごい、色々な事が知れて参考になります。私は、大河ドラマ大好き人間で、鎌倉殿の13人!は、欠かさすず、観ております。確かに、今回の木曽義仲は、男気溢れるカッコいいタイプでびっくり(*_*;です。以前の、タッキー義経の時の義仲の描かれ方は、馬で賭けてる最中に、敵の矢が、顔面の眉間にぶっ刺さり、無様な死に方でした。このチャンネルを視ると、大河ドラマの楽しみが、何倍にも膨らみます✌🌸ありがとうございます
楽しい解説ありがとう。
いつもながら、面白く、為になる話しをありがとうございます😭最高です。これからも、もっともっと、沢山、そして、短いインターバルで教えていださい。
有難うございます。
6:57 手塚光盛、漫画家の手塚治虫氏の御先祖様らしく、「火の鳥 乱世編」とか、この時代を描いた作品だと眼鏡で鼻の大きい手塚治虫の自画像そっくりのキャラクターとして登場しますよね
火の鳥の木曽義仲はドラマの彼のような感じでした。いかついけど思慮も愛情も深い人でした。先日のアニメの義仲が山猿だったのが衝撃的でした。
歌舞伎の演目、映画『八日目の蝉』で虫追い祭の由来にもなった斎藤実盛さんを、教えて下さい。やはり生き様が美しかったから、今も歌舞伎、祭りで名を残しているのでしょうね。今回も面白かったです。三人のお話に参加してる様な気がします。では、また。
来週やりますよ~。
うわあ!楽しみにまちまーす!感謝感謝
木曽義仲役、ワイルドな青木宗高さんが演じているので粗野な性格かと思ったら、えらい義理堅い性格の義仲ですね。今後ハメられるのかと思うとかわいそう。
歴史は変えられないとはいえ、この義仲だと超可哀想です~~。
義仲がきりゅうさんに説教されていて笑ってしまった「ごめんて~」
テヘww
歴史の敗者を尊ぶ、三谷幸喜流の義仲像、魅力的です。理知的で勇敢、そして無償の絆。でも人を信じすぎ、生焼きに気づかない甘さもあるという。
確かに詰めが甘い! 笑
お疲れ様です。あれ?センセ、回線復旧したんでしょうか?祝!もうビシバシやっちゃってください。楽しみにしております。
動画楽しく拝見しております。義仲といえば頼朝との同盟から倶利伽羅峠、さらに白山神社や比叡山を味方に引き入れる手腕には覚明の助けが極めて大きいと感じています。ドラマには登場しなそうなので残念でたまりません…。できましたら覚明について取り上げていただけたら嬉しいなと思う次第です。義仲の配下にも魅力的な人もたくさんいるんですよね。義仲四天王はじめ、矢田義清、志田義広、海野幸親も密かに登場を心待ちにしていたりします。…が、頼朝に目をつけられたのが行家になっちゃったし、志田義広はもう出て来ないでしょうねぇ…
志田義広は、出なさそうですね~。樋口兼光、斎藤実盛あたりも出なさそうで残念です。
返信ありがとうございます。やっぱりお二人とも登場はないでしょうねぇ。特に斎藤実盛は富士川でも平家側の士気を下げる働きをしたりと、ちょいちょい頼朝を裏から助ける面白いエピソードあるから出て欲しかったのですが…
義仲の、出自、戦いは、これまでのテレビドラマではまったく紹介されていないので、興味深い。青春18で旅したときに、中山道のローカル駅に旗揚げの地という立看板があった。
どこぞかに義仲は美形だったと書かれていたような気がします。ぱぱの義賢もたしかきりゅう先生が貴族の誰かの愛人だったと言われたような気が。大姫が一撃で義高にメロメロになったのも当然かも。なにより畠山重義能や斎藤実盛に助けられ中原一族に傅かれて育った義仲が性格がわるいはずがないですもん。
ご案内、ありがとうございます。早速拝聴させていただきました🎵木曽義仲つて愛情溢れる武将なんですね。じつは、朝生観てまして(笑)御高齢なのに、田原総一朗さん、無茶苦茶元気ですね。それに禁断の創価学会に踏み込んでいました(゚Д゚)!!❗ここから、戯れ言になります(*´ω`)同じく御高齢のお坊様が木曽義仲の信州からうまれました。はい、このお坊様がは私の地元のお寺さんと関係があります。隣県、信州は木曽義仲が出る前は、しずーかな国だったといわれます、いまでこそ知識人を沢山輩出している教育県いわれてますが。とりあえず木曽義仲は頼朝に先んじて京にはいった。のち頼朝に政略的に滅ぼされるのだが、それでも信州人は京で天下を感じ意識もしたでしょう。やがでしから多くの人材がでてきます。そのなかのひとりが、松本の西南の農家?に生まれた「覚心」時代は実朝くんが十五六の頃でしょうか、のちに臨済宗の巨人とよばれました。栄西の晩年の生まれですね。かれには、こんな逸話があります。おかあが戸隠神社でお祈りしているとみごもったといいます。両親は鎌倉期なのでしょうね、学問をすることをすすめ、彼はやがて東大寺で受戒し、後に高野山にのぼりが密教をまなび相伝をうけるまでになります、よほど秀才だったのでしょうね!個人的には法然にかさなります。その後、京にでて禅に転向するのですが、当時はやりの臨済宗ではなく曹洞宗でまなびます。数年で師匠の道元から戒脈をさずかります。そして我が故郷😌上州世良田の長楽寺にやってきます。ご存知、徳川家康や新田源氏をなのり、東照宮を建立します。数年学び師匠が亡くなると鎌倉の寿福寺にはいる。座禅をして瞑想していると、突然心が晴れて、いままで自分は知的に仏教を理解したが、それは解脱でもなんでもない❗おそまきながら気づきます。彼は実朝くん同様、入宋を決意します。宋では各地でまなび、無門という師をえておおいに学び印可得た、宗旨は臨済宗ですね。数年して日本に戻り、紀州由良の田舎僧になった。その後、彼の名は高名となり、上皇や天皇から京に招かれるのだが、うまく逃げ出し由良の田舎寺に戻る。終生この寺からはなれなかったといいます。彼は宋の径山寺でおぼえた味噌をつくりました、いわゆる、(なめ味噌)きんざんじみそ🎵湯浅では人気の味噌になったのだが、ある時工程を間違えて、溜まりができた?なめたら!それまでの、ひしお、よりさらに味がよいか醤油の原型ができた。とヤマサ醤油はいっています☀️覚心はひとつの宗派を起こせるほどの僧なのにしなかった、でもヤマサの主張が正しければ、宗派をのこすより素晴らしい食をのこしてくれましたね。
この時代の歴史は勝ち残った者が書き記すから、それに破れた者は好き放題書かれるというか自分の正当化のために良くは書かれないというのは避けられないのかな。それはそうと、京都人というものにもやはり千年の歴史があるというか千年前も今も一緒だ。
叔父源行家を巡るきっかけから対立。もう一人の叔父志田義広のお話も機会あればお願い致します。
リクエストみたいで、スミマセンが(^_^;)義高と大姫との関係も解説お願いします!自分が若かりし頃、永井路子先生の小説を読んで、涙した事を思い出しましたので!
水曜日にアップしますよ~。
木曾義仲は史実でも律儀で人情家だった。また、義経並の軍略家だったけど、政治が駄目だったみたいですね。
そもそも、歴史上、優秀な軍人はたくさんいるが、優秀な政治家は少ないように思う。京から事実上独立し武士団をきちんと組織した頼朝〜義時〜泰時の優秀な政治家の系譜は奇跡に近い。それくらい優秀でないと700年近く続く武家の世のシステムは発明確立できないと思う
まあ、義経もひどいもんでしたしねw
北陸宮を担いでというからには、八条院がついていたのでは?にしても木曾殿、最初からから最後まで、カッコよかった😢😢😢
この大河ドラマは多分、悪い奴が生き残って善い奴は滅ぼされる、そういう物語になりそうな気がします。もしそうなら、義仲は英雄然として、頼朝は悪徳政治家然として描かれるのでしょう。今日のところはまさにそんな感じ。となれば、仰る通り、従来の勝者(=生き残った奴)が書き残した歴史とは逆のイメージになりますよね。そんな新視点で描かれる物語なのだと思います。さて、その英雄・義仲に圧勝する義経ですが、彼は戦さの英雄というよりは戦さの怪物として描かれそうですね。その仕込みを、今着々と積み重ねてる感じですかね。どう思われます?
@@桃饅頭-q3i さんコメント有難うございます。最近の大河ドラマは、麒麟がくるしかり、平清盛しかり、所謂「勝者が書いた歴史」に載っていない、敗者や、無名の人物にスポットを当てた物が多いように思います。歴史研究もそのように進んでいるのでしょうし、また不明な点が多い人物は、作家心をくすぐるのかもしれませんね。
章子先生質問です✨ドラマ中で巴御前の眉がつながってましたが、何か意味があるのでしょうか?教えて下さいませ😄💐
歴史とは関係ないんですがオープンカーに跨って乗ってカッコいいのは西部警察の石原裕次郎ぐらいですね
10万の平家に勝つなんて何万の兵士がいたのかきになる😅
勉強になりますね~良かったね~良かったよ~(^_^)
らっとさんと町であったら目をようあわせられん気がしますもし目が合ったら、もれなく先に頭を下げて「ごめんなさい」言うような気がします
源氏それぞれがどうこうと言うより後白河の分断工作の結果かと思う。下々を競わせて靡く奴を重用して意のままにする支配者層の帝王学的十八番が炸裂しただけかと。最期にまさかの北条が無双でかっさらっていったけど後鳥羽には荷が重すぎたかw
義仲は行家だけじゃなく叔父の志田義広も匿ったことで頼朝に疑われましたよ。野木宮の戦いで頼朝と義広は戦っています。
ドラマではカットでしたね~。
木曽義仲は頼朝と仲良くバランスをとっていくつもりだったのでしょうか?疑いをかけらた時に戦う選択をせず、素直に大切な嫡男を人質に差し出したのは理由があるのでしょうか?
額面通りなら、源氏が一つになることを望んだからではただ佐殿の家来になる気が有ったかは、存じませんが少なくとも新宮は、木曽殿や佐殿の家来になる気は、ないでしょうがね
義仲は平氏よりも頼朝の方に遺恨があるのだから、一旦平氏と協力して頼朝を討つという発想はなかったのだろうか。
あったんですが、平家の方が受けてくれなかったようです。
アレ?頼朝卿も義経卿も牛車には決して乗らずに、外出する時は乗馬されたのでは?
教科書「木曽の最期」でも「死に方がださい」と生徒からは不評(自分が学生の時もだった)な義仲ですが😅今後、どのように描かれて行くか楽しみです。
帯刀先生
義朝の母は院の近親の娘為義が院から忌避されたため弟の義賢が嫡男として扱われた
院って誰でしょう?
木曽義仲と一緒に行動していた源行家は、少なくとも義仲よりは京のルールを知っていたのにどうして行家は、義仲に京のルールとか作法など教えてあげなかったのでしょうか?戦も弱かった様ですし単なる疫病神ですか?義仲か可哀想過ぎます。
わ😃今日も新作!御三方さま樂嬉喜感謝です。義仲さまの暗がりのなか生焼け魚でもてなし腹痛を呼べば即効で謝罪して、頼ってきた叔父を匿い息子を差し出す実直さに、こちらが棟梁で良かったんじゃと過ぎりました。2歳で殺されそうなところを助けられた義仲さま、幼いからと流罪で見逃され助けられた頼朝さま。男児だと言うだけで産まれたてで取られる命のある時代に、2人共生かされて今があるんですね。御三方さまの真ん中に超カッコいい武者姿で出没する義仲さまナイスです😂「ごめんて〜 」「公家の意地悪〜 」京都人は鎌倉時代からいつ近江人に琵琶湖の水止められるかわからない粋な気質だったんですね。次回は後白河法皇の義経さま化?!てことは義仲さまが義円さま化!?まさかの行家フラグ😱讒言はあかんて〜
義仲は、項羽と劉邦の項羽に似てる
項羽もいいですよね~。
以仁王は生きて会津に逃げてその後、越後の小国に住んだんですよ。以仁王が主人公の大河ドラマ作って欲しい。
@@桃饅頭-q3i うちの方ではそう伝わっています。私の母方の祖先は以仁王の随臣で、会津まで一緒に逃げて来ました。
正直そういうのは、うちの母方も平家の末裔をなのってるただの農家ですがまったく当てにならないと思います
倶利伽羅峠の戦いといえば義仲の「火牛の計」.「夜討ちをかけられ平家の軍勢大パニック、生きてるビフテキが飛び込んできた…」(落語・源平盛衰記)
倶利伽羅峠の戦いの動画もアップしますよ~💖
@@kashimashi_rekishi_ch さんへ楽しみにしています🙂
アッハッハッ!ワタクシが読んだ漫画(題名不明)では、まだ切り分けていない、ローストビーフでした!
だいぶ前に野村萬斎さんが舞台で斉藤実盛を演じたことがあった。シェイクスピアっぽい仕上がりになってた。京都人の田舎者を笑いものにする底意地の悪さは昔から素晴らしいけど、京都の不動産を買い占めている中国人には全く通じないらしい。
@@桃饅頭-q3i 文覚あっちに行ったり、こっちに行ったりだけど疲れ知らず。
今日は、篠原の戦いがあった日。ということは、斎藤実盛の命日でもあります。平宗盛に願い出て、大将しか着用を許されない錦の直垂を死に装束として着用を許してほしいと願い出ます。70歳余りなので、手塚治虫の先祖に打ち取られてしまいますが、老兵とあなどられぬよう、白髪を黒く染めてあっぱれな武将と褒め称えられました。首を抱えながら、義仲がざめざめと涙を流すシーン、やってほしかったな。それにしても、戦いのシーンが少なすぎますね。大泉洋主演の「三国志」ほどケチってはいないけど、とにかく残念。
ウポツDEATH!きりゅう様が脳筋を知っていたことに・・・クリビツテンギョウしました。 失礼\(_ _)
義仲はワイルド系で、息子役は色白、美形染五郎…いくらなんでも、配役にミスでは無いのかな?💦もう少し、普通のルックスの俳優さんは居なかったのか
義仲を庇うわけじゃないけど頼朝も富士川の時点で勢い余って京まで行ってたら絶対やられてたと思うんだなぁ...。平家でも京マナーwでもなく、何より後白河や公家の蠢く朝廷が超コワイ。w...って、大河・清盛の見過ぎかな?でも大江・中原抜きじゃ生きた心地しない。w
いや~、頼朝もたいがいダークだから大丈夫じゃないかとwww
でもこんな毛むくじゃらの義仲から何であんな美男な義高が生まれたのだろう?母似なのか。埼玉県狭山市入間川に清水冠者義高終焉の地という看板が立っています。悲運の死を遂げた人を美しく描くのは日本のお約束。だから小柄で醜男の義経が美男に描かれるのもそのせい。
斎藤真盛さん、なんで墨でヒゲ塗られてるの?しかも塗ってる方の悪ガキ風味なに?え。なんで???
係ると死亡フラグが立つ行家までも敬う義仲がなんとも男気のある素敵キャラに思える回でした。
女たらしの頼朝に比べて側室は居るものの嫌らしくない対応でカッコ良かったです💞
木曽義仲は、今でいえば埼玉県生まれですよね。出生地に行った事があります。産湯の泉があったと思います。今回、義仲を取り上げてくださってありがとうございます。斎藤実盛の話しも良かった。次回も楽しみです。埼玉県民より。
同じ日の放映では、頼朝はダメダメの局地でしたからね〜 洋さんピッタリの役でしたw
12:02 乗り物降りるときとかに、建物から出るときとか、私はいつも、めんどくさいからスル~しちゃいます😅。木曾殿のこのエピソードを思い出しながら😣💦⤵️
義仲のほうが源氏の嫡流だったとは驚きました😱‼️
いつもためになるお話ありがとうございます。夫婦揃って拝見しております。
歴史好きな夫でもさすがに知らなかったという点も多く本当に勉強になります。
めちゃめちゃ楽しい🎶です。すごい、色々な事が知れて参考になります。
私は、大河ドラマ大好き人間で、鎌倉殿の13人!は、欠かさすず、観ております。確かに、今回の木曽義仲は、男気溢れるカッコいいタイプでびっくり(*_*;です。
以前の、タッキー義経の時の義仲の描かれ方は、馬で賭けてる最中に、敵の矢が、顔面の眉間にぶっ刺さり、無様な死に方でした。
このチャンネルを視ると、大河ドラマの楽しみが、何倍にも膨らみます✌🌸ありがとうございます
楽しい解説ありがとう。
いつもながら、面白く、為になる話しをありがとうございます😭最高です。
これからも、もっともっと、沢山、そして、短いインターバルで教えていださい。
有難うございます。
6:57 手塚光盛、漫画家の手塚治虫氏の御先祖様らしく、「火の鳥 乱世編」とか、この時代を描いた作品だと眼鏡で鼻の大きい手塚治虫の自画像そっくりのキャラクターとして登場しますよね
火の鳥の木曽義仲はドラマの彼のような感じでした。いかついけど思慮も愛情も深い人でした。先日のアニメの義仲が山猿だったのが衝撃的でした。
歌舞伎の演目、映画『八日目の蝉』で虫追い祭の由来にもなった斎藤実盛さんを、教えて下さい。
やはり生き様が美しかったから、今も歌舞伎、祭りで名を残しているのでしょうね。今回も面白かったです。三人のお話に参加してる様な気がします。では、また。
来週やりますよ~。
うわあ!楽しみにまちまーす!
感謝感謝
木曽義仲役、ワイルドな青木宗高さんが演じているので粗野な性格かと思ったら、えらい義理堅い性格の義仲ですね。今後ハメられるのかと思うとかわいそう。
歴史は変えられないとはいえ、この義仲だと超可哀想です~~。
義仲がきりゅうさんに説教されていて笑ってしまった
「ごめんて~」
テヘww
歴史の敗者を尊ぶ、三谷幸喜流の義仲像、魅力的です。理知的で勇敢、そして無償の絆。でも人を信じすぎ、生焼きに気づかない甘さもあるという。
確かに詰めが甘い! 笑
お疲れ様です。あれ?センセ、回線復旧したんでしょうか?
祝!もうビシバシやっちゃってください。楽しみにしております。
動画楽しく拝見しております。
義仲といえば頼朝との同盟から倶利伽羅峠、さらに白山神社や比叡山を味方に引き入れる手腕には覚明の助けが極めて大きいと感じています。ドラマには登場しなそうなので残念でたまりません…。できましたら覚明について取り上げていただけたら嬉しいなと思う次第です。
義仲の配下にも魅力的な人もたくさんいるんですよね。義仲四天王はじめ、矢田義清、志田義広、海野幸親も密かに登場を心待ちにしていたりします。
…が、頼朝に目をつけられたのが行家になっちゃったし、志田義広はもう出て来ないでしょうねぇ…
志田義広は、出なさそうですね~。樋口兼光、斎藤実盛あたりも出なさそうで残念です。
返信ありがとうございます。
やっぱりお二人とも登場はないでしょうねぇ。
特に斎藤実盛は富士川でも平家側の士気を下げる働きをしたりと、ちょいちょい頼朝を裏から助ける面白いエピソードあるから出て欲しかったのですが…
義仲の、出自、戦いは、これまでのテレビドラマではまったく紹介されていないので、興味深い。青春18で旅したときに、中山道のローカル駅に旗揚げの地という立看板があった。
どこぞかに義仲は美形だったと書かれていたような気がします。ぱぱの義賢もたしかきりゅう先生が貴族の誰かの愛人だったと言われたような気が。大姫が一撃で義高にメロメロになったのも当然かも。なにより畠山重義能や斎藤実盛に助けられ中原一族に傅かれて育った義仲が性格がわるいはずがないですもん。
ご案内、ありがとうございます。早速拝聴させていただきました🎵
木曽義仲つて愛情溢れる武将なんですね。
じつは、朝生観てまして(笑)御高齢なのに、田原総一朗さん、無茶苦茶元気ですね。それに禁断の創価学会に踏み込んでいました(゚Д゚)!!❗
ここから、戯れ言になります(*´ω`)
同じく御高齢のお坊様が木曽義仲の信州からうまれました。はい、このお坊様がは私の地元のお寺さんと関係があります。
隣県、信州は木曽義仲が出る前は、しずーかな国だったといわれます、いまでこそ知識人を沢山輩出している教育県いわれてますが。
とりあえず木曽義仲は頼朝に先んじて京にはいった。のち頼朝に政略的に滅ぼされるのだが、それでも信州人は京で天下を感じ意識もしたでしょう。
やがでしから多くの人材がでてきます。そのなかのひとりが、松本の西南の農家?に生まれた「覚心」時代は実朝くんが十五六の頃でしょうか、のちに臨済宗の巨人とよばれました。栄西の晩年の生まれですね。
かれには、こんな逸話があります。おかあが戸隠神社でお祈りしているとみごもったといいます。両親は鎌倉期なのでしょうね、学問をすることをすすめ、彼はやがて東大寺で受戒し、後に高野山にのぼりが密教をまなび相伝をうけるまでになります、よほど秀才だったのでしょうね!個人的には法然にかさなります。
その後、京にでて禅に転向するのですが、当時はやりの臨済宗ではなく曹洞宗でまなびます。数年で師匠の道元から戒脈をさずかります。
そして我が故郷😌上州世良田の長楽寺にやってきます。ご存知、徳川家康や新田源氏をなのり、東照宮を建立します。数年学び師匠が亡くなると鎌倉の寿福寺にはいる。座禅をして瞑想していると、突然心が晴れて、いままで自分は知的に仏教を理解したが、それは解脱でもなんでもない❗おそまきながら気づきます。
彼は実朝くん同様、入宋を決意します。宋では各地でまなび、無門という師をえておおいに学び印可得た、宗旨は臨済宗ですね。
数年して日本に戻り、紀州由良の田舎僧になった。
その後、彼の名は高名となり、上皇や天皇から京に招かれるのだが、うまく逃げ出し由良の田舎寺に戻る。終生この寺からはなれなかったといいます。
彼は宋の径山寺でおぼえた味噌をつくりました、いわゆる、(なめ味噌)きんざんじみそ🎵湯浅では人気の味噌になったのだが、ある時工程を間違えて、溜まりができた?なめたら!それまでの、ひしお、よりさらに味がよいか醤油の原型ができた。とヤマサ醤油はいっています☀️
覚心はひとつの宗派を起こせるほどの僧なのにしなかった、でもヤマサの主張が正しければ、宗派をのこすより素晴らしい食をのこしてくれましたね。
この時代の歴史は勝ち残った者が書き記すから、それに破れた者は好き放題書かれるというか自分の正当化のために良くは書かれないというのは避けられないのかな。
それはそうと、京都人というものにもやはり千年の歴史があるというか千年前も今も一緒だ。
叔父源行家を巡るきっかけから対立。もう一人の叔父志田義広のお話も機会あればお願い致します。
リクエストみたいで、スミマセンが(^_^;)義高と大姫との関係も解説お願いします!自分が若かりし頃、永井路子先生の小説を読んで、涙した事を思い出しましたので!
水曜日にアップしますよ~。
木曾義仲は史実でも律儀で人情家だった。また、義経並の軍略家だったけど、政治が駄目だったみたいですね。
そもそも、歴史上、優秀な軍人はたくさんいるが、優秀な政治家は少ないように思う。京から事実上独立し武士団をきちんと組織した頼朝〜義時〜泰時の優秀な政治家の系譜は奇跡に近い。それくらい優秀でないと700年近く続く武家の世のシステムは発明確立できないと思う
まあ、義経もひどいもんでしたしねw
北陸宮を担いでというからには、八条院がついていたのでは?
にしても木曾殿、最初からから最後まで、カッコよかった😢😢😢
この大河ドラマは多分、悪い奴が生き残って善い奴は滅ぼされる、そういう物語になりそうな気がします。
もしそうなら、義仲は英雄然として、頼朝は悪徳政治家然として描かれるのでしょう。今日のところはまさにそんな感じ。
となれば、仰る通り、従来の勝者(=生き残った奴)が書き残した歴史とは逆のイメージになりますよね。
そんな新視点で描かれる物語なのだと思います。
さて、その英雄・義仲に圧勝する義経ですが、彼は戦さの英雄というよりは戦さの怪物として描かれそうですね。
その仕込みを、今着々と積み重ねてる感じですかね。
どう思われます?
@@桃饅頭-q3i さん
コメント有難うございます。
最近の大河ドラマは、麒麟がくるしかり、平清盛しかり、所謂「勝者が書いた歴史」に載っていない、敗者や、無名の人物にスポットを当てた物が多いように思います。
歴史研究もそのように進んでいるのでしょうし、また不明な点が多い人物は、作家心をくすぐるのかもしれませんね。
章子先生質問です✨
ドラマ中で巴御前の眉がつながってましたが、何か意味があるのでしょうか?教えて下さいませ😄💐
歴史とは関係ないんですが
オープンカーに跨って乗ってカッコいいのは西部警察の石原裕次郎ぐらいですね
10万の平家に
勝つなんて
何万の兵士がいたのか
きになる😅
勉強になりますね~
良かったね~良かったよ~(^_^)
らっとさんと町であったら目をようあわせられん気がします
もし目が合ったら、もれなく先に頭を下げて「ごめんなさい」言うような気がします
源氏それぞれがどうこうと言うより後白河の分断工作の結果かと思う。
下々を競わせて靡く奴を重用して意のままにする支配者層の帝王学的十八番が炸裂しただけかと。
最期にまさかの北条が無双でかっさらっていったけど後鳥羽には荷が重すぎたかw
義仲は行家だけじゃなく叔父の志田義広も匿ったことで頼朝に疑われましたよ。
野木宮の戦いで頼朝と義広は戦っています。
ドラマではカットでしたね~。
木曽義仲は頼朝と仲良くバランスをとっていくつもりだったのでしょうか?
疑いをかけらた時に戦う選択をせず、素直に大切な嫡男を人質に差し出したのは理由があるのでしょうか?
額面通りなら、源氏が一つになることを望んだからでは
ただ佐殿の家来になる気が有ったかは、存じませんが
少なくとも新宮は、木曽殿や佐殿の家来になる
気は、ないでしょうがね
義仲は平氏よりも頼朝の方に遺恨があるのだから、一旦平氏と協力して頼朝を討つという発想はなかったのだろうか。
あったんですが、平家の方が受けてくれなかったようです。
アレ?
頼朝卿も義経卿も牛車には決して乗らずに、外出する時は乗馬されたのでは?
教科書「木曽の最期」でも「死に方がださい」と生徒からは不評(自分が学生の時もだった)な義仲ですが😅
今後、どのように描かれて行くか楽しみです。
帯刀先生
義朝の母は院の近親の娘
為義が院から忌避されたため弟の義賢が嫡男として扱われた
院って誰でしょう?
木曽義仲と一緒に行動していた源行家は、少なくとも義仲よりは京のルールを知っていたのにどうして行家は、義仲に京のルールとか作法など教えてあげなかったのでしょうか?戦も弱かった様ですし単なる疫病神ですか?義仲か可哀想過ぎます。
わ😃今日も新作!
御三方さま樂嬉喜感謝です。
義仲さまの暗がりのなか生焼け魚でもてなし腹痛を呼べば即効で謝罪して、頼ってきた叔父を匿い息子を差し出す実直さに、こちらが棟梁で良かったんじゃと過ぎりました。
2歳で殺されそうなところを助けられた義仲さま、幼いからと流罪で見逃され助けられた頼朝さま。男児だと言うだけで産まれたてで取られる命のある時代に、2人共生かされて今があるんですね。
御三方さまの真ん中に超カッコいい武者姿で出没する義仲さまナイスです😂
「ごめんて〜 」
「公家の意地悪〜 」
京都人は鎌倉時代からいつ近江人に琵琶湖の水止められるかわからない粋な気質だったんですね。
次回は後白河法皇の義経さま化?!てことは義仲さまが義円さま化!?
まさかの行家フラグ😱
讒言はあかんて〜
義仲は、項羽と劉邦の項羽に似てる
項羽もいいですよね~。
以仁王は生きて会津に逃げてその後、越後の小国に住んだんですよ。以仁王が主人公の大河ドラマ作って欲しい。
@@桃饅頭-q3i
うちの方ではそう伝わっています。
私の母方の祖先は以仁王の随臣で、
会津まで一緒に逃げて来ました。
正直そういうのは、うちの母方も平家の末裔をなのってるただの農家ですが
まったく当てにならないと思います
倶利伽羅峠の戦いといえば義仲の「火牛の計」.
「夜討ちをかけられ平家の軍勢大パニック、生きてるビフテキが飛び込んできた…」(落語・源平盛衰記)
倶利伽羅峠の戦いの動画もアップしますよ~💖
@@kashimashi_rekishi_ch さんへ
楽しみにしています🙂
アッハッハッ!
ワタクシが読んだ漫画(題名不明)では、
まだ切り分けていない、ローストビーフでした!
だいぶ前に野村萬斎さんが舞台で斉藤実盛を演じたことがあった。シェイクスピアっぽい仕上がりになってた。
京都人の田舎者を笑いものにする底意地の悪さは昔から素晴らしいけど、京都の不動産を買い占めている中国人には全く通じないらしい。
@@桃饅頭-q3i
文覚あっちに行ったり、こっちに行ったりだけど疲れ知らず。
今日は、篠原の戦いがあった日。ということは、斎藤実盛の命日でもあります。
平宗盛に願い出て、大将しか着用を許されない錦の直垂を
死に装束として着用を許してほしいと願い出ます。
70歳余りなので、手塚治虫の先祖に打ち取られてしまいますが、
老兵とあなどられぬよう、白髪を黒く染めてあっぱれな武将と褒め称えられました。
首を抱えながら、義仲がざめざめと涙を流すシーン、やってほしかったな。
それにしても、戦いのシーンが少なすぎますね。
大泉洋主演の「三国志」ほどケチってはいないけど、とにかく残念。
ウポツDEATH!
きりゅう様が脳筋を知っていたことに・・・クリビツテンギョウしました。 失礼\(_ _)
義仲はワイルド系で、息子役は色白、美形染五郎…
いくらなんでも、配役にミスでは無いのかな?💦
もう少し、普通のルックスの俳優さんは居なかったのか
義仲を庇うわけじゃないけど頼朝も富士川の時点で勢い余って京まで行ってたら絶対やられてたと思うんだなぁ...。
平家でも京マナーwでもなく、何より後白河や公家の蠢く朝廷が超コワイ。w
...って、大河・清盛の見過ぎかな?でも大江・中原抜きじゃ生きた心地しない。w
いや~、頼朝もたいがいダークだから大丈夫じゃないかとwww
でもこんな毛むくじゃらの義仲から何であんな美男な義高が生まれたのだろう?母似なのか。埼玉県狭山市入間川に清水冠者義高終焉の地という看板が立っています。悲運の死を遂げた人を美しく描くのは日本のお約束。だから小柄で醜男の義経が美男に描かれるのもそのせい。
斎藤真盛さん、なんで墨でヒゲ塗られてるの?
しかも塗ってる方の悪ガキ風味なに?
え。なんで???